九鬼周造(くき しゅうぞう、1888 - 1941)は、明治~昭和時代を生きた日本の哲学者です。
この記事では、「いき」や「偶然性」といった九鬼周造の思想をわかりやすく解説します。
- 九鬼周造の主な思想
- 九鬼周造の思想を現代社会で生かす方法
- 九鬼周造のおすすめ入門書
九鬼周造の生涯
九鬼周造は1888年に官僚の息子として生まれました。
九鬼は大学で哲学を学んだのちにヨーロッパに留学し、ベルクソンやハイデガーといった、当時の西洋哲学を代表する哲学者たちと交流を持ちました。
帰国後は、日本独自の美意識である「いき(粋)」の感覚を西洋哲学の手法で把握することに挑み、代表作『「いき」の構造』を発表しました。
九鬼周造の主な思想
いき
「いき」とは、身なりや態度がしなやかで垢抜けていることを言います。
たとえば、記念日にサプライズでプレゼントを贈ったり、シンプルなファッションの中にさりげなく特別なアクセサリーを合わせたりすることが「いき」です。
九鬼は日本人が直感的に「いき」を感じていると考えました。
そして、「いき」の構造を明らかにすることによって、人が物事を認識する直前の現象を説明しようと試みました。
九鬼によれば、「いき」は媚態、意気地、諦めという3つの要素で構成されます。
媚態(びたい)
「媚態」とは、異性に対する魅力的な態度や振る舞いのことです。
たとえば、異性と目線を合わせたり、声のトーンを柔らかくすることがあげられます。
九鬼によれば、媚態は男女関係の継続性(=ずっと一緒にいたい)と刹那性(=その瞬間のときめき)のバランスを求める心の動きであるため、恋愛が成就すると媚態は失われてしまいます。
簡単に言うと、人は魅力的な相手と恋愛関係になれるかどうかというドキドキ感を楽しんでいるということです。
意気地(いきじ)
「意気地」とは、個人の自尊心のことを言います。
たとえば、江戸時代の武士たちは不利な状況でも決して恐れず、自分が正しいと思った行動をとることが大事だと考えていました。
九鬼によれば、自分の生き方への誇りである意気地が、媚態の表面的な魅力に深みを与えてくれます。
諦め(あきらめ)
「諦め」とは、文字通り諦めることを言います。
色々なことを経験した人は、自分には何ができて何ができないのかを知っているため、現実に対する高望みをしなくなります。
そして、自分の人生を受け入れ、ある意味で諦めることによって、自分なりの人生を生きていくことを選びます。
この人生に執着しないスタンスが「いき」だということです。
九鬼は、「媚態」「意気地」「諦め」という3つ要素が「いき」を構成しているのだと主張しました。
偶然性
九鬼は、ある出来事が偶然起きることの意味を深堀りして考えました。
九鬼によれば、偶然性とは人間の自由を促進するものです。
たとえば、通勤道路でたまたま工事をしていたため、普段とは別の道を歩いていたら、とても美味しいパン屋さんを見つけたとします。
この時、私は道路工事という偶然起きた出来事のおかげで、美味しいパンを食べる自由を得たことになります。
このように、偶然性には私たちの自由を促進するという一面があります。
ちなみにキリスト教の世界では神による「必然性」を重視するため、西洋哲学では偶然性を一段レベルの低いものとして扱うことが多いです。
九鬼は、西洋哲学では見落とされていた偶然性の価値を見つけ出したといえるでしょう。
身体性
九鬼は、人間が物事を認識するうえで、身体が重要な役割を果たしていると主張しました。
それまでの西洋近代哲学では、「身体(物質)と心(精神)は別物である」とする心身二元論が主流でした。
しかし九鬼は、人間の身体をただの物体と捉えるのではなく、すべての精神的な活動には身体が関係しており、心と身体は一体不可分なものであると主張しました。
たとえば、握手によって相手との心の距離が縮まることがありますが、これは身体が接触することによって、お互いの心に変化が生まれていると言えます。
九鬼周造を学びたい方へおすすめの入門書
実践!九鬼周造の思想を現代社会で生かす方法
九鬼周造は一見捉えどころのない「いき」という感覚を「媚態」「意気地」「諦め」の3要素で説明しました。
現代社会でも、この3要素を持つ人は魅力的です。
私たちは自分の魅力を上げるために、体形や髪型、服装といった「見た目」を気にしがちです。
しかし、そのような表面的な努力だけではなく、相手と目線を合わせる(媚態)、人生に誇りをもつ(意気地)、色々な経験を積む(諦め)といったことによって、さらに魅力的な人物になれるかもしれません。
まとめ
この記事では、「いき」や「偶然性」といった九鬼周造の思想をわかりやすく解説しました。
九鬼周造の哲学は、私たち日本人がなんとなく心地よく感じる「日本特有の良さ」のようなものを言語化していると思います。
グローバル化した世界の中で見落とされがちな日本の価値を再確認してみるのも良いかもしれませんね。