哲学を学ぶ意味

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哲学には難解なイメージがあり、自分とは関係ないと考えている方も多いと思います。

しかし、目まぐるしく変化する現代社会を生きる私たちこそ、哲学を学ぶ必要があります。

この記事では、「哲学に少し興味はあるけど、何の役に立つのか分からない」という方に向けて、私たちが哲学を学ぶ意味を解説します。

そもそも哲学とは?

そもそも、哲学とは何でしょうか?

哲学はギリシャ語で"philosophia"と言います。"philo"は「愛する」、"sophia"は「知」という意味です。つまり哲学とは、「知を愛する」という意味になります。

それでは、「知」とは何でしょうか。「知」の反対は「無知(=知らないこと)」です。つまり「知」とは、それまで知らなかったことを知ることであると言えます。

ちなみに、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「無知の知」という有名な言葉を残しています。

ソクラテス(紀元前470頃 - 紀元前399)
写真の引用元:Sting, CC BY-SA 2.5 , via Wikimedia Commons

「無知の知」とは、自分は無知であるが、無知であることを自覚している点で、その辺の賢そうな人たちよりも自分の方が賢いのだ、という意味です。

「哲学」と聞くと、ひと握りの険しい顔の人々が、難しい概念を難しい用語で説明している姿をイメージしがちです(実際そうですが。。)。

しかし、哲学とは本来、「知らない物を知りたいと思い、一生懸命考える営み」のことです。

科学技術が発達した現代でも、宇宙の姿や人間の脳の仕組みなど、この世界には私たちが「知らないこと」がたくさんあります。なので、大げさに言えば、哲学の守備範囲はこの世の全てであるということになります。

哲学者たちは何を考えてきた?

哲学者たちは、これまで何を考えてきたのでしょうか?

端的に言えば、哲学者たちは「人間とは何か」「私は何者か」といった疑問に答えようとしてきたといえます。

西洋哲学では、経験主義と合理主義という二つの大きな流れがあります。

経験主義とは、私たちの知識は実験や観察によって得られるという考え方です。一方、合理主義とは、私たちの知識は万人が共有している理性によって得られるという考え方です。

経験主義の根底には、人間とは不完全な存在であり、自ら世界に働きかけることによって初めて知識を獲得できるという思想があります。

一方、合理主義の根底には、人間とは素晴らしい存在であり、頭を使って一生懸命考えれば、世界の全てを理解できるのだという思想があります。

現代でも、何か新しいことにチャレンジする時に、「とりあえずやってみよう」というタイプの人と「まずは計画を立てよう」というタイプ人がいますよね。前者の人は経験主義タイプ、後者の人は合理主義タイプと言えます。あるいは、同じ人でもどちらの進め方が良いか分からず迷ってしまうこともあるでしょう。

哲学を学ぶことで、このような迷いに対して、ひとつの結論を出すことができるかもしれません。

哲学者は人生のガチ勢

どんな時代、場所でも、人は何かしらの悩みを抱えて生きています。

家族や恋人との人間関係や、戦争や革命といった社会の大きな変化がきっかけとなって、哲学的な思考を深めた人もいます。

例えば、近代イギリスの哲学者JSミルは、幼い頃からとんでもない英才教育を受け、「神童」と呼ばれていましたが、21歳の時に精神を病んでしまいます。その後、ミルはハリエット・テイラーという女性との恋愛によってこの危機を乗り越え、哲学者や経済学者、国会議員として活躍しました。

ジョン・ステュアート・ミルの写真

ジョン・ステュアート・ミル(1806 - 1873)

ミルの思想は、人間の幸せを「量」ではなく「質」で評価するという考え方です。彼の哲学には、彼が生きた人生が反映されているように思えます。

このように、哲学者の多くは、自分の人生についてとことん考え、悩み、生き抜いた人たちです。言わば、人生のガチ勢です。

悩み多き現代人である私たちにとっては、彼らは人生相談に乗ってもらいたい理想の先輩たちと言えるのではないでしょうか。

今、この時代に哲学を学ぶ意味

それでは、AIが当たり前の存在になったこの時代に、なぜ哲学を学ぶ必要があるのでしょうか?

それは、哲学が人間にしかできない営みだからです。

例えば、自動運転について考えてみましょう。

自動運転の仕組みは、カメラの映像などをAIが総合的に分析し、人間があらかじめ決めておいたプログラムに沿って、ハンドルやブレーキを操作するというものです。例えば、AIがカメラに写った物体を「人間だ」と認識し、距離や速度を計算して、「このままでは衝突する」という結論を出し、ブレーキをかけます。

しかし、実は「人間と衝突する時には止まる」という価値判断はAIにはできません。なぜなら、AIにとっては人間は雑草などと同様に、ただの障害物にすぎないからです。

そこで、人間がAIに対して「人間とぶつかる場合は停止、雑草を踏みそうな場合はそのまま直進」という命令をするのです。ここまでは誰もが納得できると思います。

ここでもう少し思考を進め、もし歩行者を避けたら壁に衝突し、運転者が重症を負う可能性があるとしたらどうでしょうか。

このケースでは結局のところ、歩行者と運転者のどちらの身体が大事なのか、という問いに行き着きます。もちろんAIにとってはどちらも同じ価値となります。

もちろん運転者は自分の方が大事だと思うでしょう。自分が運転者なら、歩行者を守るために運転者を犠牲にするような車は買いたくないですよね。

では、自動運転車が次々と歩行者を轢いてしまう社会は、果たして理想の社会と言えるでしょうか。これも違いますよね。

ここで、哲学の出番です。

このケースでは、運転者(=私)と歩行者(=他者)のどちらかを犠牲にしなければなりません。しかし、そもそも「私」とは何でしょうか?「他者」とは何でしょうか?「私」と「他者」は何が違うのでしょうか?

これらの疑問に対し、誰もが納得できる答えはまだありません。つまり、その答えは「まだ誰も知らないこと」なのです。それを考える上で、答えの無い問いに向き合い続けた哲学者の思想がヒントになるのだと思います。

高度なAIが普及した世の中だからこそ、人間の「人間力」か試されていると言えます。

 

まとめ

この記事では、「哲学に少し興味はあるけど、何の役に立つのか分からない」という方に向けて、哲学とは何が、なぜ哲学を学ぶべきなのかを解説しました。

この記事をきっかけに、哲学に興味をもってもらえたら嬉しいです。