哲学を学ぶうえで、哲学書を読むことはとても重要です。
しかし、哲学書は難解なうえに値段も高いので、なかなか手を出しづらいという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この記事では、「哲学書を読みたいけど、ちょっとハードルが高いな…」と感じている方に向けて、哲学書を読む時のちょっとしたコツをお伝えします。
哲学書にまつわる3つの誤解
まずは初心者にありがちな3つの誤解を解いておきましょう。3つの誤解とは、
- 読破しなければならない
- 正しく、早く読まなければならない
- いずれは原書を読まなければならない
というものです。それぞれ解説していきます。
誤解①:読破しなければならない
私たちは1冊の本を最初から最後まで読むのが習慣になっています。子どもの頃に読む絵本でも、国語のテストの長文でも、最後まで読み切ることが正しくて、途中でやめることは悪いことだ、という感覚が身についているのです。
しかし、哲学書を読む時にはこの感覚を一旦忘れましょう。なぜなら、「最後まで読まなければならない」と思っていると、「最後まで読めない本は最初から手を付けない方が良い」という考えに至り、結局最初の一歩が踏み出せなくなってしまうからです。
そのため、哲学書を読む時にはまずは勢いで読み始めてしまい、読み進められるだけ読み進めてみて、「ちょっと難しくなってきたな」と思ったら諦めて次の本に手を伸ばす、というくらいの軽い気持ちで臨むことをおすすめします。
誤解②:正しく、早く読まなければならない
現代社会では、いろいろな問題を正確に、素早く解決することが求められます。そのため私たちには、間違った理解をしたり、問題解決に時間がかかったりする人には優秀ではないという感覚が染みついています。
しかし、哲学においては確定した正しい答えや正しい解釈というものは存在しません。
フランスの哲学者ジャック・デリダは、過去に本に書かれた言葉は、未来の人々が再解釈することで新しい発見を生むことがあると主張しました。
著者本人の解釈が分からないこと自体が、一つの価値になるということですね。
また、答えのない問いと向き合う哲学書を読む時には、時間がかかるのは当たり前です。
多くの哲学者は、自身の人生のほとんどの時間を費やして1つのテーマと向き合っています。その思考が1冊の本に詰まっているわけですから、私たちもむしろ時間をかけてじっくり向き合うべきだと思います。
誤解③:いずれは原書を読まなければならない
書店には「〇〇(人名)入門」「よく分かる〇〇」といった、初心者向けの本が並んでいます。
このようなタイトルを見ると、「入門書の後は、もう少し難しい本を」とか、「いずれは原書を読まなければ」と思ってしまいがちです。そして、先の見えなさから哲学書を読むこと自体を諦めてしまいがちです。
しかし、哲学というものは、学校ではほとんど教わることがなく、多くの人が全く勉強していない領域です。つまり、入門している時点でかなりの強者なのです。
ちょっと想像してみてください。自身の周りに「ヘーゲルの思想はどんなものですか?」と聞かれて、何かしらの回答ができる人がどれくらいいるでしょうか。
こんな時にヘーゲルの入門書を読んでいれば、「ざっくり言えば...」と答えることができるかもしれません。
※別に、ヘーゲルの思想をかじっているから偉いのだ、ということではありません。人生の悩みを解決するためのヒントを、人よりも多く持っている、というイメージです。
ちなみにヘーゲルは哲学史の中では超重要人物です。
もちろん、入門書を読んで「本格的に哲学を学びたい」と思ったら、より詳しくて難しい本にチャレンジするのも良いでしょう。
しかし、入門書だけでも十分に哲学の勉強になるということを強調しておきたいと思います。
哲学書を読むまでの具体的な手順
哲学書にまつわる誤解が解けたところで、次は実際に哲学書を読むための具体的な手順を解説します。
書店に行き、興味のある本を探してみましょう。
ちなみに筆者のおすすめは、マイケル・サンデル著『これからの正義の話をしよう』です。
「まえがき」と「あとがき」をチェックした後は、いよいよ本文です。ここでもいきなり冒頭から読み始めると、何の話をしているかが分からず、挫折するリスクがあります。
そこで、目次をざっと見渡して、興味があるところからつまみ食いするように読むことをおすすめします。
上で紹介した『これからの正義の話をしよう』で言えば、筆者は第3章の「私は私のものか?」というフレーズが気になったので、そこから読んでいきました。
本を読み終わったら、同じ著者の本や、その本で出てきた他の哲学者の入門書を探してみると良いでしょう。
ほとんどの哲学者は、自分以外の誰かの思想を参考にして本を書いています。その場合は巻末に参考図書が載っているので、その中から自分でも読めそうなタイトルを探してみましょう。
(おわりに)大切なのは自分が幸せになること
哲学書を読む理由は人それぞれだと思いますが、社会人になった後に哲学を学ぶ人の多くは、自分の人生をより幸せにしたいというモチベーションを持っているのではないでしょうか。
もしそうであれば、哲学書を読むことは人生を幸せにするための手段にすぎないということになります。目的ではなく手段です。
イギリスの哲学者チャールズ・サンダース・パースは、「プラグマティズム」という理論を提唱しました。
プラグマティズムとは、何かが良い結果を生み出すならば、それは「真実」または「価値がある」とみなすという考え方です。逆に、どんなに説得力のありそうな理論があっても、実際に良い結果が出なければ、その理論は「誤り」または「無価値」とみなします。
プラグマティズムの考え方によれば、哲学書の内容が自分の人生を良くしてくれるものであれば「価値あり」、そうでなければ「価値無し」ということになります。
狭い解釈の世界に入り込むのではなく、その本が自分の人生をどう変えてくれるか、ということに注目して読むことで、自分なりの解釈ができるようになっていくでしょう。
ちなみに当然ながら、自分の悩みを解決してくれる本に一発で出会えることはごく稀です。
しかし、数をこなしていけば、いつかは自分の好きな本や哲学者に出会えるでしょう。それを楽しみにしながら、1冊ずつ読んでいけば良いのだと思います。