ジャック・デリダ(1930 - 2004)は、ポスト構造主義の哲学者です。
このページでは、脱構築、差延、グラマトロジーといったデリダの思想を分かりやすく解説します。
また、デリダの思想を現代社会で生かす方法を紹介します。
- デリダの主な思想
- デリダの思想を現代社会で生かす方法
- デリダのおすすめ入門書
デリダの生涯と時代背景
デリダは、当時フランスの植民地であったアルジェリアで、ユダヤ人の家庭に生まれました。
その後パリの学校へ通いますが、植民地出身者やユダヤ人ということで周囲になじめず、哲学書を読み漁ったそうです。
幼少期には第二次世界大戦が勃発しており、ドイツ人とユダヤ人、列強と植民地など、何かが何かを支配する構造が身近にあったことが、彼の思想に影響を与えていると考えられます。
デリダの主な思想
デリダの主な思想を解説します。
脱構築
デリダの思想の根幹を表す言葉が「脱構築」です。
脱構築の概念を理解するために、まずは「二項対立」について説明します。
二項対立とは、2つの相反するものが対立している状態を言います。
例えば、「男と女」「喜びと悲しみ」「存在と欠如」などですね。
一般的に、二項対立の状態にある2つのものは、どちらか一方が他方よりも優れているという考えになりがちです。
例えば、(当時は)女性よりも男性の権利が幅広く認められてましたし(今は逆ですかね?)、悲しみよりも喜びの方が良いことですし、欠如よりも存在の方が価値があるように思えます。
デリダはこのような、一見当たり前にも見える「二項対立のどちらか一方が他方よりも価値がある」という考えを否定しようと試みました。
その具体的な方法が「脱構築」です。
脱構築とは、「二項対立の概念を分析し、その内部にある矛盾や隠れた前提を明らかにし、その支配的な構造を揺るがすことで、新しい視点や理解を生み出す試み」を言います。
シンプルに言い換えれば、「白黒はっきりさせられないことを証明する」という感じです。
例えば、「存在と欠如」について、「何かが欠如している」という概念が無ければ「何かが存在する」という概念はそもそも生まれません。
逆に、「存在」の概念が無ければ、「欠如」という状態も生じません。
このように、一般的に、二項対立している2つの概念は、どちらか一方が他方よりも優れているのではなく、相互に依存しあうことで初めて意味を持っているというのがデリダの主張です。
パロールとエクリチュール
デリダの脱構築の中でも、特に有名な「パロールとエクリチュール」について紹介します。
パロールとは「話し言葉」、エクリチュールとは「書き言葉」という意味です。
従来の哲学では、「パロール」は「エクリチュール」よりも価値があると考えられていました。
なぜなら、パロールが実際に目の前で語られるのに対し、エクリチュールは二次的で、間接的なものであり、作者の手を離れれば離れるほど、価値が減少すると考えられていたためです。
しかし、デリダはこの考え方に異を唱え、実際には「パロール」も「エクリチュール」も同様に不完全であると主張しました。
なぜなら、どちらの形式でも意味は不確定で変動的であり、一つの固定した意味を完全に伝達することはできないからです。
また、「エクリチュール」は筆者の手の届かないところで他の人が読むことによって、新しい解釈が生まれることがありますが、このことには新しい発見が生まれるかもしれないというメリットもあります。
デリダはこのように、ある観点では「パロール」よりも「エクリチュール」が優れていることを説明し、それによって「パロール」と「エクリチュール」のどちらか一方が他方よりも優れているわけではないと結論づけます。
グラマトロジー
デリダは「グラマトロジー」という学問を提唱しました。
グラマトロジーとは、言語の意味は文字によって初めて明らかになるという考え方のもと、言語と文字の関係を再評価することで、言葉が持つ限界と可能性を探求する学問です。
差延
「差延」とは、「違い」や「先送り」という意味です。
デリダは、私たちが言葉を通じて何かを理解しようとするとき、話し言葉でも書き言葉でも、その意味は常に少しずつ変化していくと主張します。
例えば、「私は私だ」と言うセリフの中には、「私」という言葉が2回出てきます。
この2つの「私」は完全に同じものと言えるでしょうか。
デリダによれば、2つの「私」は微妙に意味が変わると言います。
前半に出てくる私を「私①」、後半の私を「私②」として説明します。
「私①」と「私②」は、もちろん同じ人物のことを言っているのですが、利き手の頭の中を想像すると、2つの「私」は微妙に違う形で理解されます。
聞き手は、「私①」の時には「なるほど、『私①』という人がいて、その人の話が始まるのか...」と思いながら聞きます。
しかし、「私②」の時には、既に頭に浮かんでいる「私①」の情報を参照しながら、「なるほど、『私②』は、あの『私①』と同じだったのか...」と思いながら聞きます。
デリダはこのように、言葉の意味は一定ではなく、少しずつ変化しており、それゆえ意味は差延によって形成されると主張しました。
他の思想との関係
デリダの思想は、既存の哲学的伝統や他の思想家から影響を受けつつも、それを批判し、挑戦し、そして脱構築することで独自の地位を築き上げました。
例えばデリダは、ヘーゲルやフーコー、レヴィ=ストロースから影響を受けたと思われます。
それらの哲学者は言語や文化の構造を解析する方法を開発しましたが、デリダはそれらの構造主義的アプローチに対して、構造そのものを脱構築する方法を提案しました。
そしてデリダの影響は大きく、後の哲学、文化理論、文学批評、法学などに多大な影響を与えました。
特にポスト構造主義、ポストモダニズムの理論家たちはデリダの思想を引き継ぎ、それぞれの分野で脱構築を用いて新たな視点を開拓しました。
実践!デリダの思想を現代社会で生かす方法
デリダの思想を現代社会で生かす方法を紹介します。
AIとの共存
ここ数年の間に、AI技術は飛躍的に進化し、「AIが人間の雇用を奪う」というようなフレーズをよく目にします。
この考え方では、AIと人間の二項対立が前提になっています。
特に、AIが人間よりも優れている部分が強調されているように見えます。
これを脱構築することはできないでしょうか。
つまり、AIが苦手なこと、人間が得意なことを見つけることで、両者が共存する、よりよい世界を作っていくということです。
デリダのおすすめ入門書
デリダの思想を学ぶためのおすすめ入門書を紹介します。
(おまけ)デリダの面白エピソード
デリダは少年時代サッカーが好きで、将来の夢はサッカー選手であったそうです。
彼の思想は、学問だけではなく社会の様々な領域に影響を与えましたが、子どもの頃は普通のサッカー少年だったのですね。
まとめ
このページでは、脱構築、差延といったデリダの思想を解説しました。
デリダの思想は「ポストモダニズム」という形で1980年代の日本の思想に多大な影響を与えています。
そのため、デリダをはじめとするポストモダニズムの思想を学べば、今日の日本の言論をより深く理解でき、様々な社会問題の解決の糸口が見えてくるかもしれません。