経験主義と合理主義は、それぞれ哲学の代表的な理論です。このページでは、経験主義と合理主義の特徴について、わかりやすく解説します。また、経験主義と合理主義の代表的な哲学者を紹介します。
- 経験主義とはどんな思想か
- 合理主義とはどんな思想か
- 経験主義と合理主義の違い
経験主義とは?
経験主義とは、「知識は経験によって得られる」という立場です。
経験主義では、私たちが世界を理解するための知識や情報は、すべて五感を通じて得られる経験に基づいていると考えます。
経験主義の主な哲学者
ジョン・ロック
ロックは、「人間は、タブララサ(白紙)として生まれてくる」と主張しました。
これは、人間は何の知識もない状態で生まれてくるということを意味しています。
白紙で生まれた人間は、その後の人生で色々なことを経験することで、徐々に知識を獲得していきます。
ロックの思想については下の記事で詳しく解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
デイヴィット・ヒューム
ヒュームは経験主義を一歩進め、因果関係を否定した哲学者として有名です。
例えば、水道の蛇口をひねると水が出てきますが、この時「蛇口をひねった」という行為と「水が出てきた」という結果の間には、「蛇口をひねった(原因)から水が出てきた(結果)」という因果関係がありそうです。
しかしヒュームはこの因果関係を否定します。
なぜなら、実際に観察できるのは、「蛇口をひねったという事実」と「水が出てきたという事実」だけであり、その間の関係は観察できないものだからです。
ヒュームの思想については下の記事で詳しく解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
合理主義とは?
合理主義とは、「知識は理性によって得られる」という立場です。
合理主義では、私たちには生まれつき、正しいことを考える能力(=理性)が備わっていると考えます。
合理主義の主な哲学者
ルネ・デカルト
デカルトは、人間が経験することには勘違いや錯覚があるかもしれないと考えました。
そこでデカルトは、自分が何となく信じているものを全て疑うことを試みます。すると、これまで信じていたほとんどのことが、錯覚である可能性があることに気が付きました。
しかし同時に、それらのことを「錯覚かもしれないな」と疑っている者の存在、つまり自分自身の存在はまぎれもない真実であるということに気が付きます。
デカルトは、このことを「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」と表現したのでした。
デカルトの思想については、下の記事で詳しく解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
バールーフ・デ・スピノザ
スピノザは、デカルトの合理主義思想をさらに発展させ、「全ての物事が原因と結果の連鎖によってつながっており、この連鎖はあらかじめ神によって決定されている」という「決定論」を唱えました。
スピノザの思想については、下の記事で詳しく解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
ゴットフリート・ライプニッツ
ライプニッツは宇宙を構成する基本的な存在として「モナド」というものを提唱しました。モナドとは無数の「精神的な原子」のようなもので、それぞれが自己完結した世界を内包しています。
そして、私たちが生きている世界は、神があらかじめ全てのモナドの行動を計画した、予定調和の世界であると主張しました。
ライプニッツの思想については、下の記事で詳しく解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
ブレーズ・パスカル
パスカルは、「人間は考える葦(あし)である」という有名なフレーズを残しました。
「葦」とは植物の名前で、人間の弱さをたとえています。
パスカルは、人間は葦のようにか弱い存在であるが、考えることによって他の動物とは異なる存在になれると主張しました。
経験主義と合理主義の違い
さて、経験主義と合理主義の違いは何でしょうか?
経験主義の根幹にある価値観は、「人間はそこまで賢くないので、経験や実験によって新しい知識を獲得していこう」というものです。
そのため、経験主義では「見て、触れて、感じる」という経験を重視します。
一方、合理主義の根幹には、「人間は賢いので、論理的にしっかり考えれば知識を得られるはずだ」という価値観があります。
そのため、合理主義では「考えて、理解する」という理性を重視します。
例えば、眼の前にキノコが生えていて、そのキノコを食べられるかどうかを知りたい(知識を得たい)としましょう。
経験主義の考えでは、少し食べてみて、お腹が痛くなったら「このキノコは毒キノコだろう」と結論づけます。
一方、合理主義の考えでは、「周囲に他のキノコが見当たらない。動物たちがこのキノコを避けているのではないか。よってこれは毒キノコだろう」というような形で、頭で考えて(=理性を使って)、結論を出します。
経験主義と合理主義の統合
経験主義と合理主義は、イマニュエル・カントの登場によって「統合」されたと考えられています。
カントは「知識は経験に基づくが、経験は理性によって整理される」と主張しました。
私たちは経験によって、知識を得ることができます。しかし、同時に私たちは、生まれつき備わっている理性を使って知識を整理し、結論を出しているのです。
先ほどのキノコの例で言えば、「赤いキノコを食べたらお腹が痛くなった」という経験から、まずは「赤いキノコは毒キノコである」と推論します。
その後、「別の種類の白い水玉模様つきの赤いキノコを食べてもお腹が痛くならなかった」という新しい経験をもとに、「赤いキノコの中でも、白い水玉模様があれば毒キノコではない」というように、認識をアップデートしていくのです。
つまり、人間は経験と理性の両方によって、物事を認識しているのだということです。
カントの思想については、下の記事で詳しく解説していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
現代社会における経験主義と合理主義
経験主義と合理主義の考え方は、現代社会の色々なシーンで見ることができます。
例えば、新商品のアイスクリームを開発する際、「ライバル社がどんな商品を売っているか」「販売エリアにはどんな層の顧客が多いか」など、データ集めをします。これは観察や経験を重視する経験主義的な発想と言えます。
その後、「消費税が上がるから、高価格帯だと売れないかもしれない」「今年は冷夏になりそうだから、シャーベット状のアイスは売れないかもしれない」といった推論を行います。これは論理的思考を重視する合理主義的な発想と言えます。
現実世界では、経験主義と合理主義のどちらかの視点だけで解決できる問題はほとんどなく、経験と理性のバランスをとることが大切です。
相手の主張を聞く際は、相手が経験主義と合理主義のどちらの発想を強く持っているかを見極めることによって、円滑なコミュニケーションを取ることができるでしょう。
まとめ
このページでは、経験主義と合理主義について解説しました。経験主義は「見て、触れて、感じる」という経験を重視し、合理主義は「考えて、理解する」という理性を重視します。
2つの主義は、哲学の中では対立する概念です。しかし双方の良さや具体例を頭に入れておくことによって、日常生活におけるコミュニケーションにも応用できるかもしれません。